発売中の文藝春秋三月号で、詩人の大岡信さんが
歌会始の議について書いておられる(p.288「歌会始の議、召人をつとめる」)。
歌会始のときの大岡さんのうたには「詩人の自分がやるからには」という気概が満ち満ちていて、
読んでいるこちらもにやりとしてしまうものだった。
(お歌の全部は宮内庁のホームページ内で読むことができます。
http://www.kunaicho.go.jp/utakai/utakai-h16.html
ちなみに私は岡井隆さんのうたが本当に好き。)


今年のお題は「幸」。そのことについての著述の途中、大岡さんはこんなふうに書かれていた。

現代詩とよばれるものを作っている人々の誰をとっても、そういう幸福好きな詩人の顔は、残念ながら一つも思い浮かばない

その通りだなあと思う。日本以外のことはまったくわからないけれど、
「不幸や悲哀について書く」ということと「幸福について書く」というのは対極ではない。
今のところ幸福をたからかにうたって成立していたのは小沢健二以外に知らない。


幸せなことをうたうのは本当に大変だろうけどそれもしないと続けてはいけないんだろう。
続くということと幸せはちかいところにあるような気がする。
くるりのニューシングルの帯裏に連綿と書かれたタイトルとか
ずらりとならんだ「クレヨン王国シリーズ」の背表紙とか。
大岡さんの文章は、伝統の「持続」についての記述で終わっていた。