この間の日曜日は、「ザ少年倶楽部」から関ジャニ∞のオリジナル曲を切り出してMP3にする作業に一日を費やしました。ちなみにTRICKSTER様(id:mrc-trick)のリスト(http://d.hatena.ne.jp/mrc-trick/20041022#1098436619)をフル活用させていただきました。愛と歴史に裏打ちされた情報は厚みが違う!


午後1時から作業をはじめて、MP3に変換したファイルをiPodにおさめ終わったのは午前2時でした。DVDを一旦HDに戻すのに時間がかかった。あとは「愛のかたまり」を歌う若大将(錦戸亮さん)に腰を抜かしたり(今更ながら暑苦しいほど語りたい!)4TOPSのたった一度の「GO NOW!」で山下さんがばんっと銃を撃つ真似をした瞬間つっぷして号泣したり(自分でもびっくりした)していたのも一因かと思う。


ミーハーの性として、好きなことに関しては面倒のないたちなので、ほかのグループについてもDVDから音を取り出してみたり、年表を作らんばかりの詳細さで歴史を繙いたり、いわゆる一文の得にもならないことを喜々としてやるのはいつものことです。でも、関ジャニ∞については、「ほんとうに彼らが好きでこれをやってる?」と、自問しながら作業するのだけが決定的に違っている。


彼らのお膝元以外で長くファンをされている方も当然たくさんいらっしゃるので、あくまで私自身に限った話ですが、今みたいに関東で関ジャニファンをやっている限り、なんとなく「蚊帳の外」感はつきまとうしそれはもうどうしようもないと思う。日の浅いファンだということがもちろん一番大きい理由だけれど、愛とか距離ではなく、彼らにとって当たり前で、彼らを彼らたらしめている前提が、私にはこのさきどれほど長く彼らを好きでいようと、絶対に理解できないから。
そもそも「ANOTHER」のころから時々とは言えローカル番組を観るくらいには気になりながら彼らにはまらなかったのは、どこまでいっても私が「世界で一番彼らのことを好きなファン」になれないと思っていたからです。たとえ妄想であっても、「彼(彼ら)を好きな気持ちは誰にも負けない!」というのがないと、ファンというのは続けるのにしんどい(私の場合)。結局地元の人には敵わないだろうしなー、と。そんな屁理屈はマツタケサマストにて木っ端みじんに粉砕されるのですが、それでも「気持ちは担当」とか悪あがきはしちゃって。
たとえば「いつ笑み」で上沼さんがさらりとおっしゃった「やっぱり大阪の子やね」という印象が、頭ではわかっても、皮膚感覚として理解できない。レコメン!でヨコが「テレビ」の発音を訛ってしまって村上さんが爆笑しても、普段の関西弁との違いがわからない。絶望的に近い断絶感。でもその断絶の向こう岸の彼らを好きになったのだからしょうがない。絶望といいつつ別にネガティブなものでもなくて、例えば東京公演に関して「失敗したら大阪の人を裏切ることになる」というコメントを読んでも、「あくまで関西視点かよ!」と怒るより、その義理堅さに「男前……」とうっとりしちゃう程度のことだ。


そこにきて関ジャニ∞を好きでいる気持ちと不可分なのが、あの、幸福な空間を愛する気持ち、あそこにいたい気持ちだと思う。 関西ジャニーズと、ファンと、スタッフと、松竹座の作り出す例えようもなく幸福な空間。だから手段が目的になってやしないかいつも指差し確認をする。距離的にも感覚的にも遠い所にある「チーム・関ジャニ」とでもいうべきあの中に入りたくて入りたくて、自分は必死になっているだけじゃないのか? 情報を集めるのも手間をかけるのも、その労力をささげものにして自分をその一員たらしめる根拠を作ろうとしてるだけじゃないのか? 
つまんないことを考えると思う。好きって気持ちに自信がなさ過ぎるんじゃないかとも思う。でも手段が目的になったら、そうなったらたぶん、私は彼らと自分自身に怒りを感じる日が来るだろう。それだけはイヤだ。少なくとも今は、深夜残業中でも耳元で彼らの声が聞こえるだけで「しあわせ……」とひとりごちてしまったり、10年後の彼らが大阪ドーム浪花いろは節を歌い踊る姿を想像しただけで泣けてしまうほど彼ら自身が好きで好きでしょうがない。本格的に落ちたマツタケから2カ月で、よくもここまでだだはまり出来るものだと思うくらい。それでも常にふかいふかい断絶の存在と、それを飛び越えたいと願う気持ちの強さを自覚してないといけない。彼らを好きになった瞬間の、マツタケの天井を突き抜けるような幸福感が、大阪に通じるいちばんまっすぐな道だと覚えておかないといけない。私はすぐにムキになる。