すでに先週の話ですが、SHOCKを観てまいりました。ジャニオタになったからには一度は観ておきたいと思っていた舞台ですが、若大将(錦戸さん)がお出ましにならなかったらここまでチケットを切望することはなく、つまりは観る機会もなかったであろう舞台。なので私はSHOCKを観に行ったとも、若大将を観に行ったとも、言えるわけで、「若大将の出ているSHOCKを観に行った」がいちばん正確かなぁと思います。


あまりに長くなったのでふたつに分けます(と言うか分けても長い)。どちらもネタバレになっておりますのでお気をつけください。


若大将(錦戸さん)のこと、SHOCKと言う「物語」のこと
まず、若大将がじょうずでびっくりした! ドリボズでは特にそんなことを思わなかったので、ほとんど間がないのに成長するものなのかしらと思ったんですが、あれはただ単にドリボズの役では良いも悪いもわからんかったからなんだろうな。やっぱり「出せばいい」ってものじゃないなぁと思いました。その子の力量や立場(これは縦社会ジャニーズ特有か)に合った役とウェイトって、役と役者をこんなに大きくするものなのかと感心しました。


Endless SHOCKについてはあらすじと目立った演出は知っていてもきちんとDVDを視たりしたことがなかったので、リョウ(ツバサ)の役割についてかなり勘違いをしていました。この舞台で、物語を担っているのはコウイチではなくリョウだったのですね。ショウ部分はコウイチ独壇場ですが、物語は、リョウがいなければ動かない。本田さんは「仮面ライダークウガ」にたとえてらっしゃいましたね。クウガを知らない私は、ベタなところでドラえもんのび太だと思いました。ドラえもんがどんなに便利な道具を持っていても、のび太ジャイアンにいじめられたりスネ夫をうらやましがったり遅刻したり0点とったりしなければ、物語は始まらないからです。
若大将はその大役に見合う演技をされていました。役に恵まれたのもあいまって、ほんとうに切なかった。私はツバサ編を観ていないので、比べてどうこうと言う感想は持てませんが、リョウはほんとうにはまり役だと思いました。アテ書きと言われても驚かない。コウイチを尊敬して、敵わないのが悔しくて、それでも慕わしくて、いっしょに舞台が出来ることが幸せであり嫉妬であり、苦悩である。光一さんの晴れ舞台に抜擢され、認められようとがつがつ頑張る若大将とかぶります。ひとりで城ホールを埋めながら、SHOCKを見に来ない裕さんに「なんでこないんですか!」と怒って電話しちゃう若大将にも。


さて、SHOCKと言う物語について。
いちばん印象に残ったリョウのシーンは、2幕の最初、「何かに取り憑かれたようにショーを続ける」姿です。あの詞、「Hey, watch me now 世界が歓声をあげたがってる」。明るいライトの元で笑いながらこの曲を歌い踊るリョウの痛々しさと言ったらなかった。リョウはいちばんになりましたが、それはコウイチがいないからです。1位の上にチャンピオンがいるようなものです。ほんとうのいちばんは他にいる。でも今は俺がいちばんだから俺を見ろ。あいつに熱狂したい人も、今は俺を見てくれる、そんな悲しいショウでした。
リョウはいちばんになりたかったわけでもコウイチになりたかったわけでもないんだと思います。リョウはコウイチとコウイチの作る舞台に振り向いて欲しかっただけなんだろうと。「好きな人に振り向いてもらえない切なさはよくわかってる」と叫んでいたリョウは、「背中を見せることでみんなを引っぱってる」と思っていたコウイチに振り向いていっしょに舞台の方を見て欲しかっただけなんだと思います。だから、本来ならばコウイチの事故はカンパニーがよりよくなっていくための発展的衝突であるべきで、コウイチが死ぬことさえなければあのあともショウは続いたはずだった。だれかひとりでも、何か違っていたら、悲劇になる必要はないお話なんです。ほんとに、なんで死んじゃうんだよコウイチ。あれは生き霊で、消えたと思ったら実は病院で意識を取り戻してたってことにしちゃまずいのかよー!


コウイチの最後のショウが終わった後、ひょっとしたら、カンパニーはばらばらになるかもしれない、と思いました。光一さんは「この絆がある限り」と言いましたが、その絆は、必ずしもカンパニーと言うかたちである必要はないのではないかと。それぞれがコウイチの志をうちに秘めて、それぞれの道を歩むこともまた絆です。あのカンパニーの柱はコウイチで、正直、コウイチが亡くなった後のカンパニーには、一緒にいる必然性は感じなかったのです。ただ、リョウの苦悩と妄執を支えるためにあったのではないかと。
絆としがらみは違います。リョウは生きてショウを続けても、コウイチの遺志をまるごとは継がないんじゃないかとも、思います。二人の齟齬はそんな甘っちょろいモンではなかった。「走り続ける」の「続け方」はコウイチに教わったとおりにしても、その「走り方」はきっといつまでも違い続けるでしょう。でもそれが、生きていることだと思うのです。


これだけ書いておいてなんですが、うまいことまとめることができません。コウイチの人生というショウが終わってしまっても、リョウや他のカンパニーの面々のショウは続いていくこと、なにより、光一さんや若大将の人生がまた続いていくことを思うと、着地点なんてないんじゃないかと言う気がするのです。