SWITCH Vol.25 No.5 (スイッチ2007年5月号) 特集:嵐「アラシノデンゴン」

SWITCH Vol.25 No.5 (スイッチ2007年5月号) 特集:嵐「アラシノデンゴン」


素晴らしいな。私は嵐担じゃないけれど、いや、じゃないから、と言うべきか、「嵐さんはきっとこんなアイドル観を持った当代随一のアイドルをまっとうしているアイドルだろう」と言うつよいつよい思いこみを持っていて、それがほとんどそのままテキストとして現れている。個人個人の考え方も、個人のグループに対する思いも、個人の他のメンバーへの視線も。
繰り返すけれど、私は嵐担じゃないから、嵐さんの喋っていることや考えていることをくわしいと言えるほどには知らないのになぜこのような認識を持つに至ったのだろう?


これはエイトについても思うことで、裏ジャニだけを見ていたとき、彼らの仕事観や腹の括り方や仲良しぶりや三馬鹿の存在感を知らなかった。それでも「この人たちのコンサートに行きたい」と思った。コンサートに行きレコメンを聴き、知れば知るほど、「予想外で好きだ」と思うことももちろんあるけれど、それ以上に最初に好きになった気持ちに間違いがなかったと再認識する方が多い。知るたび、「私はこんなエイトを好きになったのだ」と合点がいく。こんなエイトもどんなエイトも知らなかっただろうとつっこむこともせずに。
裕さんに落っこちたのが最大の大誤算ではあるけれど、あの方にしたって知れば知るほど間違いなかったと思う。


なにをもってしてファンになるのだろう? おそらくはなにも知らないのに、なにを感じ取って好きになるのだろう。その後知るたびに失望とも驚きとも違う、ああやはりそうなのだと、すっと納得し自分の判断を褒めたくなるような。おそらくは好きなった瞬間から、新しく知り得ることなんてひとつもないのだ。知識がどれほど増えようと、自分の中に「あの人が好きだ」と発見する以上に大きな発見なんてない。何も知らなかったときに知っていたすべてが、おそらくは今とこれからのすべてだ。