○○君の写真全部ください

大野さんの個展、入場方式が変わったのですね。お金が絡まないことでも顔写真付き身分証明書なのか。でももうこうするしかないんだろうなぁ。


実は金曜日南青山に行ったので、帰りに見たいなーと思ってヒルズに行ったのですが、もちろん整理券配布は終了していました。
などと書くと「何を甘いこといっとるんだ通りかかったくらいで入れるか」と言われそうですね。何というか、ここのところジャニーズのイベント・コンサートには常にこの殺伐とした切迫感が充満している気がします。まぁそれの最たる物が裕さんソロコン第一弾だった気がするんで、私がどうこう言う権利もないような気がしますけど。


なにしろふらっと行ったくらいではショップに入れない。1年前、どう遠く見積もっても2年前まで、平日は定時で仕事上がればガラガラの店内で写真選び放題でした。整理券配布は土日か遠征組が東京にいるときだけでした。
なんであんなにショップが混雑するのか。単純に、全人類に対するジャニオタの割合が増えたのか。上が抜けないまま下が増えれば(これはファンもタレントも)確かに人数は増えるんでしょうが、日常生活を送っていてそんなにジャニオタ(しかも写真まで買うような)が増えた感じがするかといえば、正直しません。結局いちばんシビアなのって実際にお金が動く「CDの売り上げ」だと思うんですが、せめて毎年コンスタントにジャニがミリオン出してるなら今のショップの混雑ぶりも納得いくんですが、そんなことは全然なく。
じゃあなんであんな事になるのかと考えれば、「ジャニオタの中で写真を買う人の割合が増えた」しかない。絶対数も増えているだろうけど、それ以上に濃度が上がってる。それはつまり言い換えると、「写真を買うことのハードルが下がってる」もっと言えば「写真を買うことを恥と思わない人が増えた」と言うことです。


オタ活動というのはいっこいっこ自分の中のハードルを超えていくことで、ジャニの場合、私は勝手に「ドル誌を買う」「ショップで写真を買う」「うちわを作る」がかなり多くの人にとっての共通のハードルなんじゃないかと思ってます。これ、それぞれ超える順番は違います。オタしかいないショップで写真を買うより、普段生活している界隈の本屋でドル誌買う方がハードル高い人もいるでしょうし、うちわ売ってない子を好きになって、最初からうちわ作る人もいるでしょう。この中のどこかに「コンサートに足を運ぶ」が、やっぱり人それぞれのタイミングで出てくるんだと思います。
そう言った「もうごまかせない」行為を自分で納得して超えていくこと。それがオタ生活であり、成長と言っていいのかわからないけどまぁ確実になにか得たり捨てたりしていくことです。


その過程でためらいを捨てさせるもっとも簡単で確実な後押しは、「みんなやってる」です。自分ひとりで逡巡しているときはぜったいに出ない結論も、「みんなやってる」があればおそろしく簡単に一線を超えることができます。そもそも反社会的行為でもなんでもないんですから、味方がいれば迷う必要なんてありません。
ではその「みんな」はどこにいるのか。ここにいます。ネット上で気狂いピエロなジャニオタ生活を晒している私は、確実に「みんな」のひとりです。
ショップが混雑していくのと前後して確実に増えた物を、私は「ブログ」しか知りません。


私は大して長いジャニオタではありませんし、ブロガーとしてもそうです。更新頻度低いし。ですが、おなじはてなにいて何度か、ジャニブログそれもエイト界隈だけを見ていても、雨後の竹の子のようにブログが増える時期、それがざーっと無くなって行く時期を確実に2回は見ました。そして結局絶対数は増えています。エイトのことを書き始めた頃は、はてな内エイトブログの名前とidは全部一致していました。今はそんなこと無理です。


ブログの前身のサイトは、作るのに知識と設備が必要でした。「管理人」は「訪問者」とは一線を画す存在で、「管理人」同士の交流は「訪問者」には不可侵のひとつ次元の高いものでした。
ブログは誰だって作れる。設備は携帯があればいい。自分と変わらない人が楽しそうに狂乱している。それを指をくわえてみている必要なんて別にないんです。
自分の価値観に照らして行為を検証する作業が省かれたら、一気に人は「濃いオタ」のする行動になだれ込みます。しかし、その人が「濃いオタ」かと言えばそれは違います。先に言っておきますが、私はオタを差別・区別したいわけではありません。そもそもコップの中の話です。ですが、自分の中に自分で決めた行動規範を持たない人は、行動のたびにジャッジが揺れます。いちいち人を見て「みんなやってる」ことを参照しても、それに一貫性があるとは限りません。そして、なにより、自分の価値観というフィルタを通っていない決心の際に、損得を抜きにした「仁義」をどこまで切れるか、私はこれがわかりません。


こんな事を書くとまるで自分が誰の価値観にも左右されず自己決定だけでやってきたようですが、そんなことは全然無く、私はエイトファンとしては最初っから「先達」と呼ぶ方々の行為をお手本にしてきました。一応それらを自分の価値観と照らすことはしてきたつもりですが、まぁ、自分のことは自分ではわからないのが世の常です。


「濃いオタ」の行動をとる「濃いオタ」ではない人々。この人達の人数と行動は、事務所にも読めないんじゃないか、最近の「キャパと動員数の齟齬」は、ここから来ているんではないか、と言うのが私の予想です。


余談ですが、ジャニオタの世界には、私の普段見ている層とは無縁のもっと濃く、次元の違う層があることもわかっています。握手会の会場で最後のひとりになるべく待っているお手伝いの方々とか、立ち見でわざわざ入ったのにコンサートを見もせずつまらなそうに床に座っている子とかを見たとき、ああ、こっちの世界もまだあるんだと思います。
でもそれは完全に事務所の感知する所であって、人数も行動も把握できるでしょう。人数も、なにをどこまでするかもわからない人々、それがどのくらい確実に座席を埋めるのか。それがわかるまで、コン事務の試行錯誤は続くのではないかと思います。まぁ、それが今の時期になったのは、郵政民営化による返金手数料の値上げが切実な要求として事務所に懸かってきたからでしょうが。よっぽどうま味なくなったんだなー。


で、エイトばっかりそのプロトタイプになっているのはまた別の話。