街場のジャニーズ思想

今日昼寝をしていて最後に見た夢が「内田 樹がエイトにはまってジャニーズ論を出した」というひじょーにありえない夢で、途中まで読んだんですがこーれがもうおもしろかった! うわーあれほんとに出ないかなー(無茶言うな)。せめて最後まで読みたかった……!
で、村上さんと内田氏とあとふたりくらいで座談会してる企画を読みかけたあたりで目が覚めてしまったんですが、グラビア付きで4人が緋毛氈に座って村上さんが若草色の着物と羽織を着ていたのは覚えている(なんか落語の話してた。だから座談会のメンツのうちひとりは春風亭 昇太さんだった気がする)。


スポンサー付きの報道番組に無理があるのと同じ事で、アイドルというのはほんとうの批評というものには晒されない存在だと思っています(まぁあのジャニーズトンチキワールドそのものを批評しようと思ったら新しい思想体系が必要だと思うけど)。
批評というとてもつかみきれないものを考えたときに思い出すのはロッキンオンジャパンで、私はあれを読み始めたとき(94年ごろ)、内容が、どのバンドに対しても絶賛の嵐で驚いたんでした。もっと、カスはカスと断じている雑誌だと思っていたからです。読んでみて、批評するのではなく評価に価しない物は取り上げないと言うのがこの雑誌の方針なんだな、と感じました。スピッツの99e.p.が60点(だったと思う。うろ覚え)の完成度だったと書いたのも、発売当時ではなく次のアルバムが出るときか何かだったと思う。


同じ事で、「この人がどうアイドルを見るのか知りたい」と思う人にこそ取り上げられない。それが、アイドルに対して唯一なされるじゅんすいな「批評」なのだと思っています。
テレビと企業とCMのしがらみのど真ん中にいるのがアイドルで、それを批評できる商業誌なんてあるわけがない。お商売になるから取り上げられる*1、書いて欲しいところには無視される、それがアイドルというもので、第三者目線なんてものは存在しない。だからせめて、アイドルを見る当事者にオタと別の軸足を求めるのでしょう。辻 仁成の記事が(あれは最近のテレビ誌の記事よりよほどオタ目線であるにもかかわらず)歓迎されたのも、あの人のバンドマンや小説家としての軸足がぶれなかった上でのファンとしての愛があったからなのかな、と。


「内田 樹のジャニーズ論」はおもしろかったなぁ。ほんとに。「担降り」の過程を実録で紹介しているところとかほんとにおもしろかった。「もうあなたにはBADしか必要じゃないのよ」とか(笑)。でも「文化」として取り上げられることと、パフォーマンスの批評はまったく違うもののようにも思う。あーなんにせよ最後まで読みたかった。

*1:サイゾーは逆の意味でお商売にしているのだし