国立霞ヶ丘競技場

タナボタというかタナチケで(不謹慎な言い方だが他に言いようがない。まさか自分でも行けると思っていなかった)、嵐さんの国立競技場に行って来ました。金曜日。コンサートの感想までまだたどり着かないけど国立競技場について思ったことなど。ネタバレするかもなので隠します。担当さんの持つ感慨とはだいぶん違うと思いますが、いち嵐ファンとして、あそこにいられたことをとても貴重に思ったので書いておきたい。そう言う会場でした。


まず書くのは


国立競技場とんでもなく広くてすごい。


と言うことです頭の悪い感想ですみません。いやしかしすごかった。入る前の大渋滞からしてドームとは比べ物にならない。あちこちから「スマ姐さんてすごい……」の声が聞こえました(笑)。
私は単純にドーム+2万という気持ちだったのですが、それがえらい間違いだったと思い知りました。入る前の人の波もそうだし、席に着いてから見た向こうっかわのスタンドまでの遠さ。「あれ全部人かー」と遠い目になるくらいもはや「風景」。屋外だからなお思うのだろうけれどひとつの風景がどんと出現していた。唐突に。
パトカーでてるわ警官わらわらいるわ、5万5千人と7万人の間のどこかに線があって、ドームクラスの公演とははっきりと別物が繰り広げられるんだと言うことが始まる前にわかりました。


東京ドームでやるグループがめずらしくなくなった昨今、ひょっとしたらこの先、下のグループが国立でやる機会は今よりも頻発するようになるかも知れない、と言う気持ちは今もわずかにあります。
でも金曜に見た国立は、たんじゅんに「ドームの次としての受け皿」ではなかった。キャパだけで、あそこでするという決断はできない会場だと思いました。なにか意味が、国立競技場でやる意味があるグループがやらないといけない会場だと。
今の嵐さんにその意味があるか。はっきりと、ある、と感じました。ご本人たちが、その意味をしっかりと作ってきた。その上で、国立競技場のどまんなかに5人揃って出現した。


最初に嵐さんのドーム公演を見たとき、客席にいて「歴史の証人になりに来ました!」と言う観客の熱をひしひしと感じました。エイトコンと嵐コンは、おなじ「コンサート」という名前が付いていてもとにかく根本から種類の違う物だと思っています。比べる気が起きないくらい違うところしか見つからない。それは観客もそうで、エイトコンは「参加者」「共犯者」という意識が強いけれど嵐コンは「目撃者」が強い、これは単に私がエイトファンで嵐さんに関して門外漢だからそう感じるのかと思っていましたが、数を重ねるにつれて、嵐コンはそう言うコンサートなんだと思うようになりました。


今の嵐さんが国立でやるということ。民放が嵐争奪戦を繰り広げ、オタでない人も「嵐は良いよね」という今。ひとりひとりが高く評価されながらはっきりと「嵐」を見据えて見たことのない高みに駆け上がろうとしている今。なによりもご本人たちがまさに今だと言うことを強く強く自覚している今。
4年前に相葉ちゃんが「トップ」という言葉を口にしたとき、ハタで見ているだけだった私はたんじゅんに驚きました。アイドルもどんどん狭いところを目指すようになるかと思っていたときにはっきりとそんなにわかりやすくも困難な頂を目指すグループがあったのか、嵐が目指すのはそこだったのか、と。
それから4年経って、今まさに嵐はそこに立とうとしている。国内で唯一の開催場所、ここからアジアツアーに発つ、そしてはっきりとひとつ上のステージに上がろうとしている。
それを目撃せよ
歴史の証人となれ
と、五輪に絡めた演出を通して観客に示した。国立競技場の聖火台より高い場所に立つ5人。


オリンピックで日本選手がメダルを獲ればわがことのように嬉しいけれど、私たちはけっして日本代表にはなれない。
でも私が国立競技場のスタンドに座って真っ先に思ったのは、「嵐にこの風景を見せてあげられて、嵐ファンの人はほんとうに嬉しいだろうな」と言うことでした。


「marks」と最初に聞いたとき、私はピンとこなかった(こういうところほんとに門外漢だと思う)。今になって、ほんとうにうまいネーミングだと思う。印を付ける、なにかを打ち立てる、そうとしか言えない歴史の中の一点で、嵐さんが繰り広げたのは楽しい楽しいお祭りでした。はっきりと記される歴史的な起点でありながら、何度も繰り返し思い出し顔がほころぶような、ささやかなわがこととしての楽しみでもある可愛い可愛いお祭りでした。